東京高等裁判所 昭和59年(ネ)847号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判旨】
一<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。
1 控訴人は、昭和三六年三月甲野太郎と婚姻し、同三七年五月二四日長男一郎をもうけていたが、同三七年八月一五日太郎が交通事故により死亡したことから、同三八年七月二五日太郎の実弟である被控訴人と婚姻し、同四〇年一月二九日長男和雄をもうけた。なお、被控訴人と一郎は、昭和三九年二月五日養子縁組の届出をしている。
2 被控訴人は、太郎存命中の昭和三七年春ころから同人宅に入り控訴人らと同居するようになり、太郎の経営する自動車修理業を手伝つていたが、太郎死亡後も控訴人との同居を続けていたところ、双方の近親者のすすめもあり、またお互いにその性格を知つていたこともあつて前記のとおり控訴人と婚姻した。このようないわゆる逆縁婚(町田市近辺においては必ずしも珍らしいことではない。)という特殊な事情は存するものの、控訴人と被控訴人の婚姻がその出発において周囲の者にすすめられるまま一片の愛情もないのになされたというものではなく、双方ともそれなりに普通の夫婦と同じような生活を送ることができると考えていたもので、被控訴人も一郎との養子縁組を当然のこととして受け入れていた。
3 被控訴人は、昼は自動車修理業を営み、夜は自動車の販売と忙しく稼働し、また酒好きだったこともあつて夜一二時前後に帰宅することが多く、加えて控訴人も無口の方であるためゆつくり夫婦で会話をするということもなかつた。被控訴人は深夜帰宅しても控訴人の用意した食事が気に入らなかつたり、控訴人が寝ていたりすると気分を害し、飲酒のうえ暴力を振うことも何回かあり、二人の仲がしっくりいかないような状態も生じた。
そして、被控訴人は、控訴人に対し何の説明もしないで控訴人に印鑑を取り出させ、書類に押捺して急いで外出したこともあつて、控訴人は、同人が得た太郎の交通事故による損害賠償金を被控訴人が勝手に費消しているのではないか、また被控訴人が控訴人と結婚したのは控訴人と一郎が取得していた財産が目当てであつたのではないかと被控訴人につき不信の念を抱くようになつたが、周囲の者から誤解されることを恐れ誰にもそのことは話さなかつた。更に昭和四一、二年ころになると被控訴人はバーに勤めている乙山春子(昭和一二年一一月一八日生)という女性の名前を口にするようになり、同女とマージャン屋とか旅館を一緒にやるなどと控訴人の前で放言するようになり、夫婦仲は冷たくなつていつた。
4 被控訴人は、昭和三九年五月二五日ころから同四二年一一月一一日ころにかけて、原判決添付別紙物件目録(一)ないし(五)記載の物件につき、控訴人に何の説明もしないまま、自己名義に所有権移転登記あるいは所有権保存登記を経由してしまい、同四二年一二月ころには控訴人のところを出て、前記の乙山春子と同棲するようになり今日に至つている。
5 控訴人は、右目録(一)ないし(四)記載の物件は、太郎の遺産であつて、控訴人と一郎とが相続したもの、同(五)記載の物件は前記賠償金を支出して建築されたもので控訴人と一郎の所有に属するものと信じていたが、被控訴人が右のように出ていつてから二、三年後に前項のとおり各物件が被控訴人の名義にかえられていることを知り、また太郎及び被控訴人の父である甲野正雄が昭和四五年死亡してその相続問題が起きていたので、これを一挙に解決すべく控訴代理人である山元弁護士にその処理を依頼したところ、被控訴人との話し合いの結果、別紙物件目録(一)ないし(四)記載の物件は太郎が生前取得したもの、同(五)記載の物件は太郎の死亡による損害賠償金により控訴人及び一郎が建築したものであること、同(六)及び(七)記載の物件は一郎が太郎を代襲して正男より相続したことを相互に確認し、被控訴人は、右(一)ないし(五)記載の物件を控訴人及び一郎に返還し、控訴人、一郎及び和雄は、被控訴人に対し別居中の扶養料請求権を放棄し、今後とも扶養料を請求しないことを約し、被控訴人と一郎との養子縁組も解消することとした。そして、昭和五〇年一一月上旬ころまでには右の案件はすべて処理された。
6 被控訴人としては、別紙物件目録(一)ないし(七)記載の物件につき、前項のとおり処理したけれども、その中には一部相続により本来自分が取得すべきもの及び正男の生前中に同人から贈与を受けていた物件もあると考えていたが、内心では全部控訴人及び一郎に取得させれば控訴人との離婚も円満に成立するものと考え、離婚問題とからめて主張したことはなかつた。そして被控訴人は、控訴人に対し離婚の申し出をしたが拒絶され、昭和五八年二月一四日東京家庭裁判所八王子支部へ離婚調停の申立てをしたが、控訴人の不出頭により同年五月九日右調停は不成立となつた。
7 控訴人は被控訴人と別居してから今日まで一郎及び和雄を養育してきており、被控訴人は前記のとおり乙山春子と同棲している。
以上の事実が認められ<る。>
二してみると、控訴人と被控訴人の夫婦関係は、昭和四一、二年ころから悪化していたが、それについては被控訴人において仕事の都合などで深夜帰宅することが多かつたのであるから、控訴人の方からも夫婦間の会話をするように努める態度に出るのが相当であつたのに、控訴人が無口な性格であつたため夫婦間の会話もほとんどなかつたのみか、被控訴人に対する不満や不信感を口にすることもなかつたことが、その一原因となつていることは否定できないところである。しかし控訴人には右以上に出て特に指摘するほどの不当な言動があつた訳ではない。これに対し被控訴人は、飲酒のうえでの乱暴な振舞いや控訴人及び一郎の財産に手を付け控訴人の不信をかつたこと、更には乙山春子との密接な交際を窺わせる言動をとつたことなどにより夫婦関係が急速に冷たくなつていつたもので、遂には被控訴人は控訴人のもとを去つて同女と同棲し今日に至つており(これは被控訴人による悪意の遺棄及び不貞行為に該当するものである。)、結局夫婦関係は破綻し、もはや修復する見込みはほとんどない事態に陥つている。したがつて右の破綻は、もつぱら又は主として被控訴人の言動に起因するものであることが明らかであり、前記のとおり被控訴人が財産のすべてを控訴人及び一郎に返還したこと並びに別居以来一七年間近く経過したことを参酌したとしても、控訴人の意思に反する本訴請求は、いわゆる有責配偶者からの離婚請求であり、失当として排斥するほかはない。
(磯部喬 大塚一郎 佐藤康)